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シナジロウと徒然暮らし

いろんなことを書き散らしていくアフィリエイト系雑記ブログです。

更新されなかった記事たちに想いを馳せる

連続となりますが、今回も引き続きお付き合いを。

 

書かれなくなった記事ってどこにいくんでしょうか。

なんてことをこの頃思います。昨日更新したマウンテンデューの記事は実は2週間ほど前の出来事を記事に起こしたモノだったりします。「ネタは鮮度が命」なんて言葉も週刊誌界隈じゃ聞いたりするんでしょうけど、それに則るなら今回は干物を出荷したくらいの感じでしょうか。

人という生き物は案外忘れっぽい生き物でして、その時浮かんだ意見やアイディアなんかも時間が経てば忘れてしまいます。それも僕らが思っているより急速に。「ネタは鮮度が命」という言葉は「時間が経ってしまう前に文字に起こして出版しなければ、みんなに知られてしまって面白みが無くなってしまう」とかそんなニュアンスで語られるものだったと思うのですが、「自分の中に浮かんだ内容は急いで形にしないと、自分でもどんな内容を考えたのかわからなくなってしまう」という意味合いでも、僕は大いに通用すると思うのです。外側からも内側からも酸化して、味わいが変わっていってしまうんですよね。

まあ、単にその時思い描いたものではなくなるというだけで、それが良いか悪いかは一概には言えないところもありますが。さっきは「干物を出荷した」なんて表現をしましたが、鮮度が命の食材があれば時間をかけて熟成させる食材もあるわけで、それは書こうと思う記事の内容次第ですよね。なんにせよ「時間を置いて書いてみたけど、僕が書こうと思ったのってこんな記事だっけ?」ってなるのは少しモヤッとするところがあります。

だからというわけではないのですが、一度書こうと思った記事が浮かんだアイディアのまま、形ならずに終わってしまうことがタビタビあるんですよね。

「あの時は書こうと思ったんだけど時間に追われるばっかりで、後になって書いてみたけどなんか何書きたいんだかもわからなくなってしまったのでやっぱりやめた」とか。「書きかけの記事が下書きのまま残っているけど、もうその時の気持ちも薄れてしまっていてイマイチ書ききる気になれない」とか。それでもとりあえず形にして更新したりもするんですけど、やはりあの時書き出した瞬間の勢いは今の自分にはそのままの形では残っていないわけで。だから、それならいっそとボツにしてしまったりもするんですよ。

昨日の記事は形になりましたが、いままでには形にならなかった記事もそこそこあります。そんなことにイチイチ考える頭を使っていてはしょうがないところもあるのですが、僕は自分の中の熱意をきっかけに記事を書いているような人なので、そこを思うと自分の熱意をボツにしているような気がして少し複雑な気持ちになるんですよねぇ。

 

形を得ることのなかった僕の感情はどこに行くんだろうな、なんて。