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シナジロウと徒然暮らし

いろんなことを書き散らしていくアフィリエイト系雑記ブログです。

恋と等身大

書くよ、別に動機は無いけれど。

 

なんか、頭良さげなこと書こうと思ったんですけど、どう足掻いても背伸びしてそれっぽいことを書いてる青臭い記事にしかならなさそうなんで、等身大でいこうと思いますです。徒然暮らしですからね。

いやですね、「人ってどういうタイミングで恋に落ちるんだろうなぁ」なんてことを今日思ったんですよ。「何を中学生みたいなことを」って意見は分かります。まあ銀杏の実の匂いにでも頭がやられたんだろうと思ってください(笑)

科学的には「相手によってではなく人はシチュエーションによって恋に落ちるのだ。」なんて話も小耳に挟んだこともあります。何で聞いた話でしたっけ?そういう状況が出来上がった時そこにいた人を好きになるのであって、この人じゃないといけない理由は実は無い。なんて、実も蓋も無い理屈ですよね。ロマンが無い。まあ、恋するタイミングについて真面目に話そうなんて記事ですから、そもそもあんまり夢のあるもんじゃないですけどね。

貴方は今、恋人にではなく実は貴方と恋人の周りにある状況、あるいは展開に恋をしていたんだよ。

なんて言ってやったらどれくらい痛快でしょうかね。馬に蹴られる物理的な痛みとどっちが強いんでしょうか?

でも、「そういう状況にいたから」という理由付けはやっぱり少し乱暴な気はしますよね。優しい人だから、魅力的な人だから、理由は沢山あれどその人に「惹かれた」からこそ恋は始まるものです。しかしその「惹かれるタイミング」という意味で解釈するなら確かに「そういう状況」である必然性はあるんでしょうね。優しい人も魅力的な人もこの世界には沢山います。どれほどコアな条件でもこの総人口71億、いや72億でしたっけ?の地球において1人しかいないなんてことはきっと無いんじゃないかと思うのです。

でも、この人じゃないとダメ。

魅力的な人が唯一無二の存在になる時、その状況には一体何があるんですかね?

 

最近、人を好きにならなくなったなーなんて、サトリ世代ちっくな事を思います。僕は「彼女欲しい」と口では言いながら、その実彼女と過ごす時間が欲しいだけであって、その「彼女」が固有名詞じゃないことに気付いた時、ある種の納得感とともに虚しさを感じました。僕にだって恋した記憶はちゃんとあるはずなのに、あの時の感情はどこかで落としてきてしまったんでしょうか。